8月7日 88セミナーで学んだこと
こんにちは。今日は、松村英治先生と土居正博先生の88セミナーで学んだことを記事にしてみたいと思います。
今回のセミナーの大きなテーマは「人材育成」。つまり、教員がどうやって教員を育てるかという視点で3人の先生から学びました。
最初は松村英治先生の「人が育つ校内研究やOJTの在り方」というお話でした。
松村先生のお話を聞いて、私が特に印象に残ったキーワードは「参観している教員が頑張る」と「若手同士で学びたいことを学ぶ場」という言葉でした。
「参観している教員が頑張る」というのは、授業を参観している教員がその授業を通して学ぶという姿勢が大切だということです。松村先生の学校では、研究授業を「話題提供授業」と呼んでいるそうで、その名前からも提供された授業をもとに参観者全員が学ぶという姿勢が読み取れます。どうしても、研究授業となると授業者が一生懸命になって、周りの教員は「他人事」のようなスタンスに陥りがちです。だからこそ、この「参観している教員が頑張る」という言葉が心に刺さりました。
次に、「若手同士が学びたいことを学ぶ場」です。松村先生の学校では自分が若いと思う教員が集まって自主的に学び合う「わかめの会」という勉強の場があるそうです。そこでは、若手が困っていることや学びたいことを話題に出し、自分だったらどうするかなどを話して情報交換をするそうです。
例えば
・個人面談で工夫していること
・学年末にクラスにどんな話をして閉めているか
・始業式にどんなあいさつをするか
・成績処理はどのように行っているか
・効率のいい宿題のチェックの方法はないか
などです。若手の教員が「今」困っていることを共有して、情報交換できるのがすごくいいと思いました。学年やベテランの先生に聞きづらいことも、若手同士なら聞き安くなると思います!!
2人目は土居正博先生です。土居先生は「人が育つサークルや研究会の在り方」というテーマでお話をしていました。
その中で私が印象に残ったキーワードは「発表機会が教師の成長において重要」「実践を具体的に書く」という言葉です。
1つ目の「発表機会が教師の成長において重要」というのは、発表して自分のやってきたことを言語化することで教師は成長できるということです。
私も、自分の実践を文章に起こそうとしたことがありますが、やってきたことを言葉にするって本当に難しいです。それだけ、日々の授業を「無意識」にこなしていたんだと反省します。
しかし、自分の実践を発表するには自分のやってきたことを「言語化」せざるを得ません。言語化することで、教師は自分の実践を振り返ることができるし、発表することで他の教員からフィードバックを得ることができます。
つまり、自分の実践を発表することで、教師は自分の力量を高められるということです。
2つ目の「実践を具体的に書く」というのは、文字通り、自分の実践を具体的に文章化するということです。
例えば、文章の中に「大きな声であいさつするように指導する」という言葉があったとします。しかし、この文だけではどのように指導するのか、イメージが湧きません。
・教師はどんな声をかけるのか
・子どもからどんな反応が返ってくるのか
・そもそも大きな声とはどれくらいの声か
など、頭の中に映像が浮かぶくらい具体的に書くことが大切だと土居先生はおっしゃっていました。
たしかに、自分の実践を文章にしたとき、抽象的な言葉に逃げてしまいがちです。それを許さず、とことん「具体」にこだわるのが、教師の力量を高めるためには必要不可欠だと学びました。
最後の3人目はスターバックスコーヒーの下青木聖子さんです。下青木さんは、「スターバックスにおける人材育成で大切にしていること」というテーマでお話してくださいました。
その中で私が印象に残ったキーワードは、「同じ景色を見ているのが学びになる」「人は90%近くが無意識の行動」という言葉でした。
1つ目の「同じ景色を見ているのが学びになる」というのは、チームで同じ景色を共有することでフィードバックができるということです。
スターバックスでは、1つの店舗に3~4人ほどの従業員がいるそうです。そして仕事をする上で大切にしているのが「タイムリーなフィードバックを行うこと」だそうです。
フィードバックには2つの種類があります。「行動強化」と「行動是正」です。
「行動強化」は望ましい行動の質を高めたり、望ましい行動を継続してもらう場合に使用します。
①目にした事実、観察した行動を話す⇒②観察した行動が効果的だった理由を話す。
このようなステップで相手にフィードバックを行います。
ここでのポイントは、「できるだけすぐに伝えること」と「相手の価値観に合わせた言葉で伝えること」だそうです。
できるだけ早くというのは納得できます。学校でも、子どものよい姿を見つけたら、その場で声をかけて褒めた方が時間がたってから褒めるよりも効果的です。
しかし、「相手の価値観に合わせて褒める」という言葉には少しどきっとしました。なぜなら、普段は「自分の価値観」や「学校の価値観」で子どもに言葉をかけることが多いからです。でも、確かに自分が頑張っていないことを褒められてもピンとこないけど、自分が頑張っていることを褒められたら「もっと頑張ろう!!」とやる気がでますよね。
もう一つの「行動是正」は望ましくない行動を改善する場合に使用します。
①目にした事実、観察した行動を話す⇒②望ましい行動について話す⇒③2番目の行動がよい理由を話す。というステップです。
ここでのポイントは「どのように行動するべきだったのかを伝え、そうすることでどんな良い影響が出るのかを伝えること」だそうです。
これを子どもへの指導の場面に置き換えて考えます。子どものあいさつの声が小さくて注意する場面があったとします。
A「声が小さいからもっと大きな声であいさつして」
これは、「目にした事実」と「望ましい行動」だけを伝えた場合です。これに「その行動がよい理由」を付けたすと、
B「声が小さいからもっと大きな声であいさつをしみて。そうすると、あいさつしてもらった方はすごく元気をもらえて明るい気持ちになるよ。」
このような声がけになるでしょうか。確かに、後者の声がけの方が「なぜあいさつ大きな声でするのか」が子どもにわかりやすくて指導が響きそうですよね。でも、私たち教員はAのような声がけで終わってしまいがちですよね。
そして、もし望ましい行動に変化したらすぐに「行動強化」のフィードバックをすることも大切です。
このように、タイムリーなフィードバックを行うためには、フィードバックをする人間とフィードバックをもらう人間が同じ景色を見ていなければなりません。
しかし、学校では、教師⇒子どもへのフィードバックをする機会は多くても、教師⇒教師へフィードバックをする機会はそう多くはありません。つまり、教室という閉ざされた空間では教師はフィードバックをもらう機会が少なく、成長しにくいということです。だからこそ、松村先生や土居先生がおっしゃるように、お互いが授業を見合って意見を交換する場が必要なんですよね。
2つ目の印象に残ったキーワードは「人は90%近くの無意識な行動」だという言葉です。これは、3人の先生の鼎談のときに下青木さんがふと漏らした言葉だったのですが、私にはガンガン響きました。土居先生の「発表することが成長になる」とびびっと繋がったのです。
先ほど、土居先生のお話の中で発表するためには、実践を文章にしなければならない、そして、いざ文章を書いてみようとするとなかなか難しいという旨を書きました。
つまり、文章にできない=無意識に指導をしている、ということです。これは、本当に恐ろしいことだと思いました。
教師は授業の中で意図的に教材を準備し、意図的に発問を投げかけ、意図的に子どもを育てる手立てを打つのが本来あるべき姿だと私は考えていました。
しかし、いざ自分のやってきたことを振り返ると「意図的に」行ってきた指導はどれだけあるでしょうか。その瞬間は何かしらの意図があったとしても、振り返るころには記憶には残っていません。その事実が自分で許せなかったし、もどかしかったのです。
また、子どもたちの行動を見ても、「90%が無意識」と感じることが多々あります。
例えば、低学年の男子Aくんが友達のBくんをふざけてたたいて泣かしたとします。
すると教員は「どうしてそんなことしたの?」と聞くと思います。
しかし、Aくんからしたら「なんとなく」「ふざけて」叩いたのでありそれ以上でもそれ以下でもありません。
そこに、教師が期待するような明確な「意図」や「理由」が存在しない場合もあるのです。
このようなことは、授業の中でも見かけられます。
教師「一番心に残った文に線を引いて見てください。」
「どうしてそこに線を引いたの?」
子ども「なんとなく」
教師「AとBどっちの意見が正しいと思いますか?Aだと思う人?Bだと思う人?」
「それでは、Aを選んだ人に理由を聞いてみましょう。」
子ども「理由は考え中です。」
私はこんな場面になんども出くわしたことがあります。子どもたちは自分が選んだにもかかわらず、理由を言うのが難しいのです。
このようなことから、人間は「行動の選択」をしてから「理由の後付け」をする場合が多いのではないかと考えました。
私たちは、「明確な理由」⇒「理由に基づいて行動」という順番で物事を考えがちですが、これって大人でもなかなか難しいのではないでしょうか。
下青木さんは、人間の無意識を前提としたときに「意識できる範囲を広げていく」ことが大切だとおっしゃっていました。
そして、意識できる範囲を広げるのに必要なのが「質問」と「対話」です。
「質問」されることで、自分がなぜそんなことをしたのかを考えます。
そして、「対話」を通して、そこの行動にどんな意味があったのか、どんな価値があったのかを確認していくのです。
この考え方って授業にも大きな繋がりがあると思います。教師が発問することで、子どもが無意識的に内包していたもの言語化して、それを学級で共有する。それに対して互いにフィードバックをしてよりよい行動や考えを導き出す。それが授業をする意義なんじゃないかと考えました。
さて、ここまで、学んだことを書き殴って文章化してきました。自分の頭の中にあることを言葉にするって本当に難しいですね。構成とか全く考えずに書いているので、読みににくいと思います。
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