「核をつくること」
「自分を磨くこと」「人を思いやること」。この言葉は、私が学級開きのときに最初に子どもたちに伝える言葉だ。それから、一年間、この言葉を核にして学級をつくっていく。
学級をつくるには、より所になる「核」が必要だ。それが、教師の言葉であってもいいし、学級目標であってもいい。(ちなみに私は学級目標はつくらない派だ)
クラスは一年、何かをするたびに、この「核」になる言葉に立ち戻って自分たちを振り返るのだ。
例えば、運動会。学年の種目の練習に取り組んだり、係の仕事に取り組んだりする。そんな中で、明らかに練習で手を抜いている児童がいたとする。教師はそれを見逃さずに、それは「自分を磨く」ことにつながっているのかどうかを、子どもに問いたださなければならない。なぜなら、四月の最初に、それを大切にすることを教師が宣言しているからだ。
教師は、宣言したからには、その方針を曲げてはいけない。
子どもは、手抜きの達人だ。油断すると、すぐに手を抜こうとする。だからこそ、教師は、手を抜いた子どもに対して「否」をつきつけていくのだ。
しかし、否定ばかりをしていては、教師は子どもからの信頼を失う。だからこそ、手を抜かずに自分を磨こうとしている子どもはうんとほめる。拍手を送る。
ダメなことをしたら叱り、良いことをしたら褒める。これが基本だ。
ここまでの話を聞くと、なんて押しつけがましい教師なんだと思う人もいるかもしれない。でも、私は押しつけでいいと思っている。
教育の本質は「強制」である。
教員は、指導者であり、学級という組織のリーダーである。リーダーならば、その組織の方針を決めなければならない。それを、組織のメンバーに押し付けなければならない。
だからこそ、四月の学級開きが肝心なのだ。
教師は、学級の核となる方針を決めよう。そして、それを一年間継続しよう。学級経営するとは、そういうことである。